日々ろりろり 2nd season

限りなき 推しと空とのただなかに 小さきものの何を争う

声優ライブの三本締めは必要か?という話

 

 声優ライブに参加する機会も増え、声優現場についてそれなりに思うことも出てきたので、ブログとして形にすることにしました。

 現在、主に参戦する現場が小倉唯さんのライブイベントだけなので(ゆいかおりアース・スター ドリームが昨年立て続けに活動休止したので)主に小倉唯現場の視点から書いたものとなりますがよろしくお願いします。

 

 

『声優ライブの三本締めは必要か?という話』

 

 声優ライブでは、現場によっては終演後に観客主導で「三本締め」を行う場合があります。声優ファンの中にはこういった現場を経験した方も多くいると思います。

 この三本締めに対して個人的に疑問と違和感を持っているので、今回これを批判する記事を書きました。三本締めに関しては様々な意見があるかとは思いますが、ひとつの問題提起として一読いただければ幸いです。

 

(この記事は特定の個人を糾弾するものではなく、三本締め文化全体への警鐘として書いたものです)


・誰のための三本締めなのか?

 三本締めや一本締め、一丁締めといったものを総称して「手締め」と呼びます。会社の納会や地域の寄り合いなどでよく行われるので、手締めという習慣は日本人にとって馴染み深いものであると思われます。

 

 タイトルの「声優ライブの三本締め」とはライブにおいて演者がはけた後に、観客が音頭を取って手締めを行うことを指します。

 

 私がまず大きな疑問を抱いているのは、「手締めの音頭を取るのは、本来観客ではない」という点です。

手締めの主旨は、行事を取り仕切った者が行事が無事に終了したことを協力者に感謝することである。そのため来賓の場合、仮に音頭を取ることを依頼されたとしても断ることが筋である。」

Wikipedia手締め』より引用

 

 この主旨に基づいて考えれば、もし手締めが行われるのであれば、主体は演者やスタッフであるべきでしょう。

 我々観客は演者でもスタッフでも何でもありません。チケット代を払ってライブを見に来ているただの「来賓」であり「行事を取り仕切ったもの」ではありません。

 もちろんコールや歓声によってステージを盛り上げることは観客の役目ではありますが、それはあらかじめスタッフや演者によって用意されたセットリストをなぞるだけであり、常に受動的な動きしかできません。


 観客に過ぎない我々が、一体何を締めるのでしょうか?


 かつてラブライブ!の声優でもある楠田亜衣奈さんが、ライブイベントの最後に「三本締めはダサい」と言及されたことがあります。

 

 この際、楠田さんが理由としてあげられたのは「アンコールが三本締めによって潰されたことがある」というものでした。
 三本締めを行っている現場においては、照明の点灯や終演アナウンス後に行われているものが多いとは思いますが、昨今では三本締めの音頭を取りたいオタクが我先にと声を出すせいで終演アナウンスに被るなどマナーを無視した状況が見受けられます。
 無論すべてがそうではありませんが、観客主導による主催者を無視した三本締めによって、存在したかもしれないダブルアンコールを潰していた可能性は十分にあると思います。


 ライブの進行に影響を与えてまで、観客が三本締めを行う必要性はあるのでしょうか?


 例えば小倉唯さんと同じレーベルである上坂すみれさんの両国国技館ライブでは、すみぺ退場後にエンディング映像が流れて終演となり、三本締めはありませんでした。しかし物足りなさはまったく感じませんでしたし、余韻も堪能できた素晴らしいライブであったと思います。

 三本締め自体、一般のアーティストのライブでそう多く見るものでもないですし、仮に無くなったとしても支障が出るものではありません。

 

 また先日山崎エリイさんのライブでは本人が主導して三本締めの音頭を取ったようですが、これは演者が主体となった三本締めであり、本来の意味として理解ができます。

 

 前述の楠田さんも「締めたい人もいるだろうから」というご配慮の元、三本締めの代わりに「1、2、さんくっすん!」で締めようと提案されたことがあります。(その後定着したのかは情報がなく不明ですが)これも演者が一緒になって作っていくスタイルですから、問題がないと思います。

 

 いずれにせよライブが‶締まる”のは演者が退場した時、若しくは主催者から提供されるものが終了した時であり、演者不在の中でわざわざ観客主導で手締めを行うことの必要性を感じません。

 


・三本締めは自己満足ではないのか?

 ライブに関する議論でよく非難されるものに「イェッタイガー」等のコールがあり、「イェッタイガーは自己満足」という言葉が用いられることがよくあります。
 家虎自体の意義や歴史に関する議論は脱線するのでここでは割愛しますが、少なくとも多くの声優現場では、イェッタイガーは必要のないものとされ、場合によっては迷惑行為とみなされているのが現状です。

 私自身は様々なコールがあってもいいとは思いますが、家虎を目立つためのツールとして、空気も読まずに連発しているイキりオタクは糾弾されてしかるべきだと思います。(Future Strikeの無音部分は尺がイェッタイガーに合ってないことにさっさと気づけヘタクソ野郎)

 

 しかし翻ってみて、三本締めの音頭も同様に目立つためのツールになっているのではないか、と思わざるを得ません。

 三本締めは本来必要なものではありません。しかし上述の通り、ライブ後に三本締めの音頭を取りたがるオタクが乱立し、あちこちで叫びまくっているのが現状です。昨年参戦した武道館での某ライブでは、会場の一部だけで唐突に三本締めが行われる情けない姿を見かけましたし、小倉唯さんのとあるライブでは乱立した音頭によって会場各所でバラバラに三本締めが行われるという、無残な有様を否応なく見せつけられました。

 

 三本締めを主導することに勝手に意義を感じているのなら、その気持ちは演者への感謝や公演成功を祝したものではなく、ただの自己満足です。ただ自分が目立ちたいだけです。

 傍から見ていれば、ヘタクソなイェッタイガーを発したがるイキリオタクと同じであると言わざるを得ず、家虎を非難しておきながら三本締めの音頭を取りたがるのは、ダブルスタンダード以外の何物でもないと思います。

 

 

・逃げ場がない


 前述のイェッタイガーに関して言えば「当該箇所で家虎をしない」また「家虎をかき消して他のコールをする」と言ったある程度の対抗策がとれます。

 しかし三本締めはそうはいきません、会場全体で行う必要のある三本締めには逃げ場がないのです。

 それならば参加しなければいいだけだろう、と思われるかもしれませんが三本締めが「演者への感謝」や「ツアー成功祈願」といった名目で行われているので、それに参加しないことによって、演者への応援を拒否していると捉えかねられないのです。

 終演後にすぐ退場すればいいという意見もあるでしょうが、ライブ後の余韻を感じていたいですし、上でも述べたように三本締めの音頭の取り合いが過熱しているせいで、演者が退場するとすぐに三本締めが始まってしまいます。

 これを避けるためには、演者がはける前にこちらが退場するほかありません。

 

 

 私は最後までライブに浸っていたいですが、それは出過ぎたわがままでしょうか。

 

 

 

 ここまで書いてきましたが、現状声優現場では三本締めを容認しているファンのほうが多いのは事実ですし、こんなブログを書いたところで無くなることはないとは思っています。

 事実、ゆいかおり最後のライブとなったStarlight Link東京公演のライブBDには終演後の三本締めが収録されているようですし(これとは別の理由でいまだに見る勇気がないので見てない)、小倉唯さんのライブでは演者の退場後、三本締めに合わせて会場内の音響を落とすなど、すでに公式で許容していると思われるものも見受けられます。

 

 もはや結論の出たものであると言われるかもしれませんが、それでも三本締めに対してこのような考えを持っている人間が一定数いることを主張したいと思い、記事を書きました。

 (本当は某アイドルアニメ現場での「〇〇〇〇最高!」やいわゆる提供読み上げ文化などにも言及したかったのですが、あの現場に行ったことがないので書けませんでした)

 

 この記事をきっかけにどこかで議論が生まれてくれれば幸いです。

 

参考文献
FLYING「楠田亜衣奈さんのソロ・プロジェクトを振り返る〜2年目のコタエあわせ〜」
http://tondol.hatenablog.jp/entry/2016/12/18/163336#%E5%8F%8C%E6%96%B9%E5%90%91%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3